パンデミックな2年間に起きたことを話すぜ
予想していたのはビル・ゲイツくらいなのではないかというパンデミックが始まってからそろそろ2年になりますね。(まだ気が早いか)
僕が彼女と最後に会ってからは、すでに1年半くらい経っていて、もう無気力が歩いたような状態で過ごし続けています。
彼女と最後に会ったころは、「もし!もしも、3ヶ月で腹筋を割ることができたなら、おれは退職する!!」と気合入りまくっていて、ちょうど最後に会ったときには「これは割れたと判断してもよいな!?」と認定いただいたものでした。
それから1年半が経ち、締まった腹筋はいったいどこへやら。手持ちのズボンはことごとく履けなくなり、体力は落ち、筋肉とともに気力まで削がれた様子で暮らしています。
かの漫画ワンピースだって、「2年後に!!!シャボンディ諸島で!!!」と約束をして再集結したというのに、未だに我々は再集結の目処が経っていないのです。やれやれコロナめ。
ただ、そんな僕にも2年間でいくつか生活の変化がありました。
ワクチン接種の2回めも終わり、なんだか再集結の予感を感じ始めた夏の終りに、ひとつここまでを振り返っておきたいと思います。
都内から千葉県某市へ引っ越し
さて、約1年半前。僕は都内で暮らしていました。
東横線沿いの駅近で、仕事終わりや休日には、歩いて自由が丘へ行ったり、ニコタマの蔦屋書店をぶらついたり、もしくは逆方向の中目黒や渋谷にも行けて、今思えば充実した住環境だったのだなあ。
ただし、その充実感を阻害する要素が2つありました。
1つは家賃が高かったこと。もう1つは定期的に部屋にゴキブリが現れることです。
特にゴキブリの出現には耐えられなかった…。そこが自分のパーソナル空間でなくなるような不安感、どこからヤツらが現れるか分からない緊張感。ヒッチコック映画みたいな暮らしでした。
そこで、在宅勤務に移行して2ヶ月くらいのタイミングで、「どうせ毎日オフィスに出勤する日常には戻らないだろう」とたかをくくり、都内に出勤することも可能な範囲で千葉県某市に引っ越したのでした。
転職
千葉県某市に引っ越してからは、家の周りに「地域猫」と呼ばれる、ボランティアの方々により避妊手術や餌が与えられる猫たちに囲まれて暮らしていました。
初めての身近に猫がいる生活、猫かわいい…。
そんなユートピアならぬネコトピアで暮らしながら、一方で、外で暮らす猫たちの苦労も目の当たりにしました。
引っ越してからは、在宅勤務で働く環境を整えることに金銭を注ぎ、これが今でも金欠の尾を引いています。ぐぬ。
そして、引っ越してから1-2ヶ月経った頃に、転職をしました。
僕は思うのですが、在宅勤務をすると会社への帰属意識が極めて薄れるような気がします。もしかすると、毎日オフィスに通うという行為自体が、自分と会社をつないでいたのかなと。
オフィスに通うというよりも「自宅で睡眠をとりオフィスに戻る」という行為を習慣づけられていたのかなと。
理由がそれだけではなかったはずですが、ともあれ僕は転職をしました。
そして転職
転職先は、自分のキャリアのなかで一番規模の小さな会社でした。
入社時は、ちょうどコロナが少し落ち着いていたこともあり、オフィスでオリエンテーションを受けることもでき、「新しい会社!新しい人生!東京タワー見える!」と大盛りあがりしていました。(東京タワーは前の会社からも見えてた)
でも、たった6ヶ月で再度転職を決めてしまいました。
僕は最初の会社が5年、次が2年、そしてこの時が6ヶ月だったので、今の会社の採用面接では「長く働く気はありますか?」と聞かれたりしました。
「面接時に短いつもりと話す人はいないかと思うのですが、是非ここで長く働かせていただけませんか」と正直にお話をして、無事採用していただけました、とてもありがたいことです。
福岡県へ引っ越し
今の会社に惹かれた理由の一つに、在宅勤務が前提で、居住地の縛りがないという制度がありました。そして、ゆくゆくは世界中で働けるように制度を整えている最中だそうです。素敵。
僕は、まだ上海にいるときに、彼女に対して「日本に戻ったら福岡に住んで、1ヶ月に2回は韓国に会いにいくよ」と約束をしていたので、ずっと約束を守れずに過ごしていました。
ということで、千葉県某市の部屋の契約が1年たった段階で、福岡県に引っ越しをしました。今年7月のことです。
部屋はリノベマンションの1室で、部屋数も1人でゆったり暮らせるほど充実していて、かつ古さを活かしながら、おしゃれな内装にされていて満足して暮らしてます。
博多駅も天神も徒歩圏内で、自然も身近にあり、家賃も物価も関東圏より安く、なおかつ福岡空港は市街地に存在するので旅行にも便利で、日本に住んでいる限りは福岡で過ごしたいと思っている今日このごろです。
あとは海外旅行が解禁されることをじっと待つのみです。
そして人生はつづく
映画フォレスト・ガンプに「Life was like a box of chocolates. You never know what you’re gonna get.(人生はチョコレートの箱のようなもの。開けてみないと分からない。)」という名言があります。
チョコレートの箱というのは、アソートセットのことだと思うのですが、開けるまでどんなチョコが入ってるか分からないということです。たぶん。
この数年、僕はたびたびこの言葉を思い出して「せやなあ」としみじみしてます。しみじみしじみです。
2年前は、こんなに長い間彼女に会えなくなることもまだ分かりませんでしたが、福岡に移り住んで今のキャリアを選択することも分かりませんでした。まさにアソートセットのなかのチョコレートのようです。
これから先も何が起こるか分かりませんが、それでもチョコレートの箱を開けるように、未知の可能性を開くための選択をしていくのだなと思います。
どうか、ときにはビターでも、スイートでありますように。